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ドラマー陽のつれづれmemo. drums, mac, etc.

ほんとうのたべもの、のような音楽。

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となりのトトロに出てくる、近所のばあちゃんが清水で野菜を冷やしてるシーン、覚えている人も多いかと思う。太陽をたくさん浴び、凝縮された滋養に満ちた、実にうまそうな野菜。今では、特に都市部ではなかなか味わえないものだが、ラッキーなことに、僕は小さいころあの味を何度も体験している。

父方も母方も、実家は長野の農家だった。夏に帰省すると、よく祖父が庭先の畑から野菜をもいできてくれた。獲れたてのトウモロコシをふかして食べたり、冷やしたトマトにかぶりついたり。小さいころ大の野菜嫌いだった僕も「じいちゃんのトマト」だけは特別で、何もつけなくても美味い!と心底思いながら食べたものだ(余談だが、うちはトマトに味噌を少しつけたり、蜂蜜を少し垂らしてデザートにしたりもしていた。これも「じいちゃんのトマト」だからこそ美味かったのだと、後にスーパーのトマトで実験してみて(残念ながら)気づいた)。
熟し切る前に収穫されるスーパーの野菜と違って、食べられる直前まで茎につながり、栄養を蓄え続けていたからこその味なんだろうと思っている。宮沢賢治の言う「ほんとうのたべもの」は「心のたべもの」を表現していると思うが、体にとっての「ほんとうのたべもの」は、じいちゃんのトマトのようなものを言うんだろうと思っている(ちなみに賢治の言葉も、農業に根ざしたバックグラウンドがあるからこそ、より深みを増しているように思う)。

小学校の終わり頃に出会った、遊佐未森の音楽。25年をゆうに超えて、今も彼女は歌い続け、そして僕らファンは聴き続けている。
彼女の音楽は、先ほどの「ほんとうのたべもの」に喩えると、僕の中ではとてもしっくり来る。じっくりと丁寧に、ひとつひとつ丹念に育てられたものたち。ひとたび摂れば、瑞々しさを放ちながら、体に沁み渡っていくような存在。

確かに、ファストフードだって時にはうまいんである。それはそれでいい。ただ、日ごろ食べるものはごく自然に「ほんとうのたべもの」を摂りたくなる。そういうたべものは、いい感じのリズムと心身をつくってくれる。みずみずしい野菜や果物をとるような気持ちで、たくさんの人が彼女の音楽を聴いてみようと思ってくれることを、どんなに願うかわからない。

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